問題が起こると外野が叩きすぎている風潮があると思っている、たたりんです。
今の世の中は個人がインターネットを利用して、自由に発信出来る時代になっています。
受け取った人にとっていろんな感性があるでしょう。
- 面白いこと
- つまらないこと
- 楽しいこと
- 悲しいこと
- 賛成すること
- 反対すること
このように、人によっていろんな受け方をして、様々な感想が出てくる混沌具合がインターネットの面白さだと思っています。
時として、問題となる発言(行動)をし炎上したりして、多くの人に責められるということもあります。
問題となる発言(行動)をすること自体は、たしかに問題です。
- 誹謗中傷
- 非難
- 差別
- 違反
- 犯罪予告
などと言った実害を発生させるような発言をしている人もいます。
当たり前ですが、実害を被るような発信をしてはいけません。
友人同士の悪ノリは、友人相手にしか通用しません。
顔も名前も住んでいる場所も知らない相手にやることは、事と次第によっては犯罪行為です。
ネットの匿名性なんてものは、半分くらいは失われています。
一歩間違えれば犯罪者となってしまうこともあります。
しかし、時として
炎上者を叩きすぎな風潮
があると思います。
炎上をするような事をしたことは、たしかに問題です。
しかし、反省をし、当事者間の話し合いになっても、なお叩き続ける人は少なくないです。
中には、悪質な嘘の情報を拡散したりする人もいます。
加害者を叩いているつもりが、実は自分が加害者になっていた
なんてことに成っているのに気がついていない人は少なくないでしょう。
画面の向こう側には同じ人間がいること
コレを忘れているネット初心者は少なくないです。
といったところで、今回は、
叩きすぎな風潮について思うこと
を書いていきます。
俺はインターネットで色んな意見が出てくるところが大好きです。
清濁様々な意見を自由に言える場があるというのは、自由だともいうことです。
ただ、他人を攻撃するということは良くないことです。
まぁ、批判と中傷を判別出来てない人もいますけどね。
叩きすぎな風潮
炎上が起こること自体は仕方のないことです。
調子に乗ってしまって不適切な行動をしてしまう、なんてことは良くあることでしょう。
そうした行動について、叩かれることも仕方のないことです。
しかし、
叩きすぎな風潮
になっていると言わざるを得ないところはあります。
炎上している人には何をしてもいいんだ
という勘違いをしている人も少なくはないでしょう。
政治家や有名企業、著名人などであれば、有名税で仕方のないことッと思うこともあるでしょう。
果たして本当にそうでしょうか?
みんなが攻撃してるから自分も加わっていいんだという勘違いをしている人はいませんか?
個人的には、反省していない人は、叩き続けても構わないと思っていますよ
問題を起こしたのに、それを自覚しない人なんてのは、表舞台から消えたほうがいいですから。
ただし、関係のないことや誹謗中傷で叩き続けるのは駄目です。
問題を起こしたこと、それに関連することで叩きましょう。
はっきり言っておきましょう。
炎上している人に何をしても良い訳はありません!
分別を持った対応をしなければ、自分が前科者になってしまいます。
叩き過ぎだと感じたことには距離を置くことも大切です。
外野が黙る時
問題が起こった時の大多数は第三者です。
外野でもある第三者はいつまでも粘着すべきではなく、黙って推移を見守るべきタイミングというのがあります。
一つは
当事者間での話し合いになった時
もう一つは
当人が反省をした時
このタイミングになった場合は、第三者は黙って推移を見守るべきです。
当事者間での話し合い
当事者間での話し合いになったということは、問題は解決に向かっているということです。
それなのに叩き続けるということは、問題を沈静化させるのでは無く、悪意を持って燃やし続けたいだけであると、思わざるを得ません。
当事者間で話し合った結果、解決するのであれば、それは終わりです。
自分(第三者目線)では、納得できていなくても、当事者同士で納得できていればそれまでです。
それ以上のことをするのは、ただの傲慢であり、今度は自分が当事者になってしまいます。
炎上なんてのは、遠目で見て、楽しむくらいがちょうどいいのです。
自分から薪になりに行くなんてのは、馬鹿のすることです。
当事者間での話し合いになったら、外野は黙って見守るべきです。
当事者の反省
問題を起こした人が、反省をしたのであれば、それはそこで一区切りです。
中には、
なんて言う人もいるでしょう。
しかし、反省をしたのであれば、そこで一区切りにしなくてはなりません。
- もう同じことをするなよ!
- 監視し続けるからな
と言った発言はありです。
しかし、パフォーマンスだけじゃ意味はない
みたいに叩き続ける人はいます。
自分が、加害者になりたいんですかねぇ・・・。
形だけの反省であろうと、一度は見守るべきです。
反省をしたと言ったのに、同じことを繰り返すようなら、容赦はしなくていいです。
過去に反省したのに、同じことを繰り返す人間は何度も同じことを繰り返しますから。
反省する発言をしたのであれば、そこで一旦は一区切りにすべきです。
その後どうなるかは、誰にも分かりませんから。
両方の意見を聞く
問題が起こるという時は、対人の問題であることも多いです。
解決するために動くことは大切ですが、
その時に、片方の意見しか聞かないのは、良くないです。
片方の意見しか聞かないというのは、
その場しのぎの対応にしかならず、新たな火種を生むことにも繋がります。
本質的な問題を解決出来なければ、火種は残ったままです。
必ず、当事者両者の意見を聞きましょう
人間というのは、本能的に自分を守ろうとします。
なので、相手を一方的に悪く言うことだってあります。
ただの認識齟齬でお互いの勘違いだったなんてオチもあります。
片方だけの意見だけ聞いて、もう片方を悪者にするのは辞めましょう。
例え
Aという開催者の下でBとCに問題が起こったとします。
この時に、Aは問題解決のために、Bに話を聞きに行きます。
この話を聞いた結果、AはCが一方的に悪いと攻撃し追放することにしました。
さて、コレは問題の解決になるのでしょうか?
答えはなりません。
Bの行動に問題があったから、Cが注意しただけであれば、Bが問題を起こしていたということになります。
本質的な問題を追求すること無く、楽に解決できる方法を取ると、問題は必ず再燃します。
- どこに問題があったのか、
- 何が問題だったのか
といった、本質的な問題を解決することが大切です。
Aの対応は失敗だったと言わざるを得ませんね。
片方にしか話を聞かないということであれば、必ず齟齬が生まれます。
両方の意見を中立に聞くべきなのです。
正しく解決するのであれば、Cにも話を聞き、どこに問題があったのかをしっかりと認識すべきです。
終わりに
以上、叩きすぎな風潮について思うことでした。
最後の1項目はなんか違う気もするけど、まぁ似たようなことはどこにでも起こり得るので。
問題を起こした人を叩くという行為がなぜ止まないかというと、
優越感に浸りたい人が多いから
だと個人的には思っています。
問題を起こした人は自分よりも劣等だから、問題を起こしたと思いたいのでしょう。
他人を叩いたところで、自分が何かを成し遂げられるわけでは無いのに。
他人を叩く暇があるのならば、自分磨きをしている方が有意義です。
一言物申したいのであれば、一言物申すだけで終わりにして、とっとと自分のやりたいことをやるべきです。
問題となった行為をきちんと、何が問題なのかということを書いている人もいます。
そうした人の意見には耳を傾ける価値があります。
人の価値観はそれぞれですが、色んな人の意見を聞くということは、新しい発見にも繋がりますし。
問題を起こした人を叩くのは自由ですが、叩き過ぎには気をつけましょう。
以上、βуё (o’ω’o)ノシ βуё
PS.行き過ぎた行為は必ず自分の首を絞めます。