どこまでを自己責任にするか判斷が難しいと思っている、たたりんです。
最近は自己責任について、いろいろな意見が飛び交っているように見受けられました。
ただ、何もかもを
- 政治が悪い
- 環境が悪い
- アイツのせいだ
みたいに他人に責任を押し付けているような人もいます。
一方で
- 全部自分が悪い
- 全部自分でなんとかしなきゃいけない
といったように、何もかも自分の責任だと思うのは行き過ぎです。
ここもやはりバランスが大事になるのでしょう。
どこまでを自己責任にするかを考えなくてはプレッシャーに押しつぶされてしまうでしょう。
逆に他人責任にしてばかりでは何も成長することはできません。
そんなわけで今回は、「自己責任」について私の考えを紹介します。
どこまでを自己責任と捉えるかという線切りをしておくと、
色々と気持ちが楽になります。
結論
まず結論として、自己責任とは、
自分で行動できることに覚悟を決めること
であると私は考えています。
すべての行動を決めるのは自分自身です。
それに対する責任は自分が追うべきものであります。
というのが私の考えです。
もちろん、自分ではどうしよう無いことが世の中にはあります。
そのようなものにまで、責任を負う必要はありません。
例えば、友人から釣りに誘われたとします。
この時に、
- 参加する
- 参加しない
といった選択を取るのは、どちらも自由です。
これに対する行動は自己責任になります。
- 参加しなかったせいで、友人関係が悪くなる
- 参加するために、道具を揃えるための出費・時間
といったことが起こり得るでしょう。
(参加しなかった程度で崩れるような関係ならとっとと切ってしまったほうがいいですけどね)
仮に参加したとして、
- ボウズで終わってしまった
- 干潮で魚がいなかった
- 天気が悪かった
といったことは、自己責任ではないでしょう。
釣りをし始めたタイミングで魚がいるかいないかは運によるものが大きいです。
調べればある程度予想することはできるかも知れませんが、
あくまでも、予想であり、確定できることではありません。
このように、
- 自分で決めることは、自己責任である
- 自分ではどうしようもないことは、自己責任ではない
と考えるといいかも知れません。
自分でコントロールできることのある程度は自己責任
と思うと区切りやすいかも知れません。
ある程度と言うところがポイントになるかもしれません。
サラリーマンは他責でいい
私は、『サラリーマンの仕事は他責にしてもいい』と考えています。
より正確に言うなら、
- 役職が低い
- 外部からの派遣
の立場の人たちは、ですが。
この考えは、ある意味では、
自分のメンタルを守ること
に繋がると思います。
個人的に、日本人は真面目に働きすぎです。
真面目に働くこと自体は良いことなのですが、
何でもかんでも自分で責任を取る用にしていては、身が持ちません。
作業をしたのが自分で、そこに不備があったとしても、
作業結果を確認するべきなのは、上司です。
自分の不備は反省するにしても、責任を取るのは上司になります。
この考えを持っておくと色々と気が楽になります。
上司は、責任を取ることも一つの仕事です。
だからこそ、不備が出ないように確認する事が大事です。
部下に責任を押し付けるような人の下で働きたい人はいないでしょう。
大半の場合は自分が責任を取る必要はありません。
それなのに、自分のせいだと思っていては精神を病むだけです。
サラリーマンは雇われなので
雇ったやつに責任がある
くらいの気持ちでちょうどいいかもしれません。
真面目に働きすぎてると感じたら、こんな感じにメンタルケアすると良いかも知れません。
まぁ、最悪会社はなくなったところで、次の職場を探せばいいだけです。
成功者に自己責任論者が多い
色んな本や動画を見ていると、
成功者は自己責任論者が多い
ように思えてきます。
最終的な責任は誰も取ってくれず、自分で取るしか無い
と考えているのかも知れません。
だからこそ、成功しようが失敗しようが、
- なぜ?
というのを追求し続けて、その結果、成功を手に入れることができたのでしょう。
例えば、経営者が
- 今景気が悪いから~
- 取引先が悪いから~
とか何かにつけて、他人のせいにしようとしているような経営者の元で働きたい人はいないと思います(そうせざるを得ない事情は横に置いときます)
今の状況が悪ければ、それに応じた対策を取っている企業が昔から現在にかけて生き残っているのだと思っています。
成功とは、人によって定義が違います。
他人から見て満足度の低そうな生活をしているように見えても、
自分は満足している。ということも多いです。
これも、自分はこれで満足できるという自己責任の現れなのかも知れません。
終わりに
以上、『自己責任』について考えていることでした。
どこまでを自己責任にするかは、難しい問題でしょう。
やりたくない仕事をしている人に
- その仕事を選んだのは自分だよね?
と自己責任を言う人がいますが、これは1から10までが自己責任というわけではないと思います。
『選んだ』のは自分であっても、それが『選ばされた』という可能性だってあります。
背景とセットで見ないものはただの戯言だと、聞き流してしまいましょう。
なんでも自己責任にしては苦しくなるので、
開き直って、
- 俺は悪くねぇ(画像略)
と言い放ってしまったほうが気が楽になります。
自己責任だろうが他人責任だろうが、自分のメンタルを崩さないのが一番大事です。
私は、
- 自分のやりたいことは自己責任でやる
- 生活のためしかたなくやることは他人責任でも良い
という考えにしています。
ただし、
- 政治が悪い
- 景気が悪い
といったことは考えないようにしています。
これらは、ほぼ全てのことに当てはまるため、言い訳にし始めてしまうと、
それに依存してしまう可能性が高くなってしまうと思っているからです。
自責だろうが他責だろうが、自分はこう思っているというのを大切にしていきたいです。
以上、βуё (o’ω’o)ノシ βуё