正しいこととはまやかしでしかないと思っている、たたりんです。
先日市議選挙の後に、
正しいことをしているのに、受け入れられない市民に絶望した
もう引っ越そうかしら
要約するとこのような発言をしている人がいたらしいです。
個人的には勝手にしたらいいとしか思っていませんが、
正しいことってなんだ?
とちょっとした疑問が生まれました。
結論としてはタイトルでほぼ完結しているようなものですが、
今回は、『正しいこと』について私の考えていることを紹介します。
考えの整理に役立ってくれれば幸いです。
結論
結論を言ってしまうと、
人生において正しいことなんてない
ということです。
正しさとは、自分の価値観でしかありません。
自分は正しいと思っていても、他人からすると間違っていることなんて多々あります。
わかりやすい事例を上げるとするならば、
フェミニストを自称する迷惑集団の行動でしょう。
- 温泉むすめ騒動
- 戸定 梨香騒動 etc
この集団にとって正しいと思っている行為でも、
他者からすると、非常に迷惑でしかありません。
多くの場合は
このような画像が公の場にあるのは不謹慎だ!
こんな女がいるわけないじゃないか!
女性差別だ!
といった発言ですが、すでに多くの人には受け入れられています。
受け入れられているということは、問題がないということです。
問題がないということは、それは『社会的に正しいこと』でもあるといえるでしょう。
このように、
- 自分では正しいと思っていても、ソレを間違っているという人がいる
ということが発生する以上、『正しい』というモノはありません。
自分が『正しい』と思いこんでいるだけです。
余談ですが、自称フェミ集団の迷惑行為に関しては、100%間違っていると私は思っています。
これも、私の『正しい』と思っている価値観でしかありません。
(そもそも、この連中をフェミニストではないと思っています)
正しさの一つは普通であろうとすること
正しいと思うことの一つに普通であろうとすることがあると思います。
ただ、この普通であることも曖昧なものです。
- 普通なら働いている
- 普通なら結婚して子供を育てている
- 普通なら一人暮らししている
といったように
普通なら〇〇している
という発言を耳にしたことがある人が多いでしょう。
これらも、発言している人の価値観でしかありません。
多くの人が同じようなことを言ってると、
それが普通なのかな
と思ってしまうこともあります。
普通であるなら、ソレが正しいことだと思いこんでしまうのが人間です。
(人間は社会的な生物のため、集団から離れることを恐れるのは自然なことらしいです)
しかし、ソレが本当に正しいかは別です。
普通になろうとして、不幸になっている人の事例は至るところにあります。
無理をして普通になろうとすることは果たして本当に正しいことなのでしょうか?
私は『正しくない』と考えています。
周囲にとって正しいことよりも、自分が幸せになる道のほうが大切だと思っているからです。
そもそも、『普通』というのが曖昧な価値観でしかありません。
コミュニティの常識はコミュニティ外では非常識
いろんな現場を転々としていると、
Aという会社では常識だったことが、
Bという会社では非常識であった
ということに、しばしば遭遇します。
これは、正しさにも言えることで、
Aという集団では当たり前に受け入れられる考えでも、
Bという集団では受け入れられない考え
があります。
コミュニティに所属していると、似た考え方をする人ばかりになるでしょう。
コミュニティは同じ目的を持った人が集まるため、
目的に対しては似た考えに偏ってしまいます。
『考え方』というのは『正しい』と思うことに直結します。
そのため、コミュニティでは正しいと思っていることが、
コミュニティ外では正しいと思われないのでしょう。
コミュニティ外でも正しいと思ってもらうためには、
理路整然とした説明を気長に続けていく必要があります。
過程をすべてふっ飛ばして、『正しい』と言ったところで
到底受け入れられないでしょう。
終わりに
以上、『正しい』と思うことについてでした。
『正しさ』というのは自分の価値観の一つでしかありません。
それを他人にも強要しようとすると反感を買うのは当たり前です。
だからこそ、私は『そんなものはない』という方針でいます。
『正しいこと』を追求し続けると、
- 〇〇は正しくない
という理由でやらなくなり、人生の選択肢を狭めていくでしょう。
そして、最終的に行き着くところは、『自由なき世界』になるでしょう。
日本は自由が保証されているため、
多くの人が自由に表現をすることができています。
だからこそ、数多くの矛盾する『正しさ』が生まれる良い環境だと思っています。
『正しい』ということの反対は『間違っている』ではありません。
間違っていることは間違っているのです。
『正しい』という言葉に惑わされずに、自分の価値観を大切にしていたいです。
以上、βуё (o’ω’o)ノシ βуё