責任の所在について考えることは大切だと思う、たたりんです。
最近、思想がアレッてる人の発言をチラホラ見かけています。
その中でも、多く感じるのが
他責思考の人が多い
ということです。
他責思考とは文字通り、
他人に責任があり自分には責任がない
ということです。
- 生きにくいのは社会のせい
- 給料が増えないのは政府のせい
といったように、自分ではなく別の何かが悪いと言い訳してしまうことですね。
こうした考えの人は少なくありません。
もちろん、自分に責任はなく他人(他の要素)に責任があるということもあります。
ですが、他責思考というのは、個人的には危険だと思っています。
全部他人のせい、なんて生き方は楽かもしれませんが、
そんな人と仲良くしていきたい人なんているでしょうか?
少なくとも、私は仲良くしたくないですし、自然と縁が切れるように振る舞います。
例えば、仕事の机上レビューとかで、以下のような指摘が合った場合
- 基本設計書が間違ってたから、詳細設計書も合わせて直せ
- 詳細設計書のレビューをしていたら、基本設計書に誤りがありました。基本設計書を修正しましたので、お手数ですが詳細設計書の修正をお願いします
2番目の指摘の方が印象は良いかと思います(基本設計書の執筆者が詳細設計書の執筆、レビューも同一人物が行った想定としてください)
1番目の書き方だと、基本設計書を書いた人に原因があり、レビューした自分は悪くないと言っているような印象を与えると感じています。
業界用語が多いですが、なんとなくのイメージは伝わると思っています。
伝え方一つでも、他責かどうかという印象を強く与えます。
あまり他責な言い方をしていると、人は離れていくでしょう。
少し話は脱線しましたが、
今回は、個人的に
他責思考が危険だと思っている理由
について紹介します。
思考法一つ改めるだけでも人生は好転します。
逆を言えば、悪い思考法一つ身につけてしまうと、人生は悪化します。
その悪い思考法が他責思考です。
根本原因から目を背ける

他責思考をしていることで、起こる弊害として、
根本原因と向き合わない
というのがあると思います。
自分は悪くなく、他人が悪い
という考え方は自分に問題があった時にそれに向き合いません。
本当の原因は自分に合ったとしても、他人のせいにしているのですから。
例えば、昨年(2024年6月)に起こった、辺野古基地の抗議活動によって警備員が死亡するという痛ましい事件が起こりました。
警備員はダンプカーに飛び出した活動家を庇って無くなり、活動家は足の骨を折ったそうです。
警備員の制止を無視して飛び出した事による事故なのに、
基地建設反対派は、基地建設を進めようとしたことが問題だという。
あからさまに、活動家に非があるのに、それを認めようとしない集団、事故の見聞をマトモにしようとしない県政に問題があります。
しかし、他責思考に染まっている連中は、基地の建設が問題だという態度を崩しません。
この事故の根本原因はどこかと言ったら、過激な活動家の暗黙のルールという名の悪質な活動にあるでしょう。
人の命、自分の命すら抗議活動の材料とするような連中にはそれが分からないでしょうが。
当たり前ですが、車は急には止まれません。それなのに、ダンプカーの前に飛び出した活動家に問題が無いわけがありません。
急に動き出したわけではなく、事前に警備員から動かすというアナウンスがあったはずです。
工事現場付近では、よく見かける光景のはずです。
このように、他責思考に染まっている活動家は根本原因を見直すことが出来ません。
活動家が飛び出したのが問題なのですから、
- ガードレールを設置する
と言ったことをするのが、対策となるはずなのに、それをしようとしない県政。
他責にしているから、根本原因と向き合っていないのは明白ですね。
まぁ、あの集団は辺野古基地移設が問題だということにしていますからね。
人の命なんてのは抗議活動の材料にしかしないんでしょうね。裁判でも惨敗したくせに。
あくまでも一例ですが、
他責思考になっていると、本当の原因から目を背け続けます。
自分は悪くなく、相手が悪いというのが基本思想となってしまうと、
ほんとうの意味での原因解明ということが出来なくなってしまいます。
成長できない

他責思考に染まっている人は、
成長することが出来ません。
なんでかって?
自分が悪くないのであれば、改善する必要がないってことでしょ
というのが、Qに対するAになります。
前項で示した例でも、対策を掲示されているのに無視し続けている県政なんてのは、まさにそれだと思っています。
ちゃんとした対策をすれば評価されるというのにです。問題を指摘している議員や党の評価は上がっていますからね。
人間は成長できる生き物です。
悪い点があれば改善し、成長し続けて来ています。
そして、成長し続けてきた結果、今の便利な社会があるのです。
自分には大したことが出来ない・・・
ッと思っている人でも、色々な経験をしてきているのですから、きっと輝ける場所があるはずです。
人間は成長できる生き物であり、その成長のためには反省が必要です。
その反省に繋がることが自己責任であると考えています。
1割でも1分でも自分に非があるということは、成長するチャンスでもあるでしょう。
逆に他責思考の人は、こうした成長のチャンスをのがしていると言えるでしょう。
他責思考に染まっている人はもしかしたら人間ではないのかもしれません。
印象が良くない

他責思考の人というのは、
印象が良くありません。
コレはシンプルながらにして、重要なポイントと言えるでしょう。
考えてみてください、何かあったときに、
自分は悪くなく、
- 他人のせい、
- 制度のせい、
- 仕組みのせい
にして、言い訳をしている人に良い印象を持てますか?
特に初対面の相手にコレをやってしまう人と長い付き合いをしていきたいですか?
私だったらその場限りで終わってしまうでしょうね。
他責思考の人というのは、ある意味では言い訳の天才かもしれません。
長々と言い訳をしているが、シンプルにすると、
- 自分は悪くない
ってのを伝えたいだけの時もありますから。
露骨に非があるのに認めない人に良い印象は持てません。
他責思考になっていると、何でも人のせいにしてしまうので、付き合いもドンドンと減っていくでしょう。
だって、次は自分を言い訳のダシに使われてしまう可能性があるのですから。
他人からの印象を良くするためにも、他責思考にはならないように気をつけましょう。
終わりに

以上、他責思考の危険性について思っていることでした。
他人に責任をなすりつけている以上、
- ほんとうの意味での原因究明、
- 改善による成長
と言ったことが見込めません。
人生は成長の連続です。
その成長の足止めをしてしまうのが、他責思考だと書いていて思いました。
もちろん、本当に他人に原因があることもあります。
全部を自己責任にする必要はありません。
それでも、まずは自分に責任がないか?っというところを確認することが大切です。
自分に問題もあったけど、相手にも問題はあったよね
ってなるのが大切だと思っています。
要はお互いに問題が合ったから改善しようねってことですね。
コレができなくなるのが、他責思考だと思っています。
他責思考は人生の様々なチャンスを棒に振ってしまいます。
何かと相手の性にしているという風に考え始めたら、一度冷静になって、振り返ってみましょう。
問題が起こったときに他責にするのではなく、自分の糧にしていきましょう!
以上、βуё (o’ω’o)ノシ βуё