人には得手不得手があるからこそ個性があるものだと思っている、たたりんです。
仕事等をしているときに、
なんで、この程度の事もできないんだろう?
と他人に思ったことはありませんか?
私はあります。
ただ、そうした時は気をつけないといけないとも思っています。
人にはそれぞれ、得手不得手があります。
同じことでも、
- 簡単にこなせる人
- 時間が掛かる人
と分かれるのは当然なことなのです。
人によって歩んできた人生は違います。
だからこそ、
- 好きなこと
- 嫌いなこと
- 得意なこと
- 苦手なこと
- やりたいこと
- やりたくないこと
といったことは違ってきます。
もし、人類全員が同じ程度の能力しかなく同じことしかしないのであれば、
それは個性なき世界になってしまいます。
想像するだけでつまらなそうな世界ですわ・・・。
そういうわけで、今回は
『人には得手不得手』
があるということについての考えを紹介します。
こうしたことは、専門書を読むほうがいいのですが、
一個人の雑な考え方でも参考になれば幸いです。
当たり前なんてものはない
当たり前のものなんてありません。
自分にとって当たり前にできることを、他人にも求めるのは酷な話になります。
今まで経験してきた人生は人によって異なるものです。
- 好きだから毎日触れている人
- 目標があるから頑張れる人
というのは、能力をドンドンと伸ばせるでしょう。
一方で
- 嫌いだけど仕方なく触れている人
- 目標がないからダラダラと続けている人
は、能力を伸ばすのにも、時間がかかるでしょう。
こうした違いもあるので、
自分にとって当たり前なことでも、他人にとっては当たり前じゃない
ということは忘れないようにしていきたいです。
世代の違い
新しい技術なんてものは、
- 若い人には受け入れてもらえやすく
- 年配の方には受け入れがたい
ことが多いです。
近年では技術の発達によって、
人が手でやっていたことが、機械任せにできる
それによって生活は便利になっています。
しかし、それまで自分の手でやることが当たり前だった人にとって、
急に機械に任せられるようになっても、不安が残るものです。
そのあたりは、脳の構造に関わる部分なので専門書を読むのがベストです。
今まで当たり前だと思っていたことが、変わってしまうことには、
恐怖を覚えるものです。
使っていけば慣れていくでしょうが、
それにどれだけの時間をかけるのかも人それぞれです。
世代の違いでも得手不得手というのは生まれてくることは覚えておいたほうがよいでしょう。
(高齢の人でも、新しい技術が好きだから触りまくっている人もいますが)
自分の得手不得手を見直してみる
人のことをとやかく言う前に自分自身はどうなのかを見直してみるといいでしょう。
自分自身のことを見直して、
何の欠点もない完璧な人間だ!
といえる人はいないでしょう。
自分が不得手なことを得意な人にやってもらって、
代わりに、自分が得意なことでサポートする
コレが好循環になる社会だと思っています。
現実には、得手不得手関係なく、ある程度の経験を積んだら管理職になって~
みたいなレールがあるのは、ちょっと問題な気もしていますが・・・
管理職系の作業も得意な人がいれば、苦手な人もいるはずなのですから。
(そもそも、管理職に負担がかかりすぎではって思いがつよいですね)
私の場合ですと、
得手:淡々と続けられる作業、結果が見えやすい作業、作業を簡略化すること
不得手:チーム外とのコミュニケーション、多人数とのコミュニケーション
だと思っています。
典型的な管理職に向かないタイプの人間だと思っています。
このように、自分に得手不得手があるように、他の人にも得手不得手があるはずです。
自分の得手を活かせる環境で、他人の不得手をサポートできるのが理想的だと思っています。
終わりに
以上、『得手不得手』について思っていることでした。
人間誰にでも、不得手なものというのはあります。
こうしたことに対しては、イライラせずに
この人はコレが苦手なんだな
と思うようにしましょう。
そして、苦手な人に説明できるようになれると良いでしょう。
苦手なことは克服できればいいものですが、
無理に克服する必要はないと思います。
苦手を克服するよりも、得意を伸ばす方が個人的には良いと思っています。
得意なことというのは、
- 好きだから伸びた
- 何も考えずにできるようになった
というものが多いです。
そうしたことのほうが、伸ばすためのモチベーションは維持できるでしょう。
嫌いなことを無理に伸ばそうとしても、ストレスでどこかで潰れてしまうでしょう。
社会とは支え合いなのです。誰かを支えられる技術は大切にしましょう。
以上、βуё (o’ω’o)ノシ βуё