経験や時間が人を変えることがあると考えている、たたりんです。
有名・無名問わず、発信した意見が大勢に知られるようになると、
と言ったように、過去の発言を発掘してくる人がいます。
このような行動は、一時かもしれませんが有名になった人への妬みがあるんだと思っています。
こうした過去の発言を発掘してくる人に対して、違和感を覚えることは多々あります。
発信というのはその時に思ったことであり、
- 一時の感情
- 過ちを認めた発信
- 若さ故の過ち
と言ったことも少なくないと思っています。
しかし、話題にあがった人を叩いて優越感に浸りたい人は、自己満足のために過去の不適切な発言を探しているのでしょう。
有名な人が叩かれて潰れれば自分にチャンスが回ってくるかもしれないとかいう、生物的本能かもしれませんが。
そんなくだらないことをするくらいなら、自分の能力を磨くことに専念したほうが良いだろうと思いますがね。
叩いた相手が潰れて、いなくなったとしても、チャンスが自分に回ってくるわけはありません。
むしろ、他人を叩いて潰したという悪評・悪行が残るだけです。
ネットでは消すとフエールといった現象も起こります。
身から出た錆とならないように、気をつけておくほうが無難です。
といったところで、今回は、
人間は変わるもの
について考えたことを紹介します。
私は過去の自分と今の自分は一直線上にいる別人だと考えています。
過去の考え方と今の考え方では、違いがあることは当たり前だと思っています。
過去に考えた事を一生続けていかなくてはいけないということはありません。
過去に囚われすぎないようにしましょう。
経験により変化する

人間の考え方が変わるというきっかけになることの要因は、
経験する
ということが多いかと思います。
実際に体験してみるまでは、分からないことというのは、多くあります。
- 思っていたより簡単だった・難しかった
ということは実際に体験してみなければ分かりません。
そうした経験を得ることによって、考え方は変わるものです。
日本もはや住みやすい国ではない!とか言っていた人が海外旅行を得て、
日本ってすごい住みやすい国だったんだ・・・
と考えを改めると言った例をいくつか耳にした事があります。
コレも、経験によって変化した考え方となるでしょう。
経験をすることによって考え方というのが変わる可能性がある以上、
過去の発言を永遠と引っ張るのは辞めるべきでしょう。
謝罪したことを引っ張り回さない

政治家や有名人などが不適切な発言・行動をしたりして、謝罪をすることがありますが、
謝罪をしたら、部外者にとっては一区切りだと思っています。
謝罪をしたら、部外者としてはそこまでで、後は関係者が解決すべき問題だと思っています。
しかし、謝罪をしても、面白半分に引っ掻き回す人というのはどこにでもいます。
話題に上がったことを取り上げることで、有名になりたいと考える人ですね。
(私も人のことを言えることではないですがねw)
個人的に、炎上問題と同じで、謝罪をしたら後は当人同士の問題であり、
部外者が騒ぎ立てることではないと思っています。
それなのに、騒ぎ立てて引退まで追い込もうとする人は少なくありません。
それで人生を引退してしまった人もいるというのに・・・。
謝罪をしたことに対して、
過去にこんな事をしたいた!みたいに取り上げる人はいますが、
きちんと謝罪をしていれば、それで終わるはずです。
謝罪したことを、いちいち取り上げる人というのは、その程度の人だと周囲から思われるでしょう。
他人を叩きたいくせに、自分の都合の良い部分しか見ない人とね。
もちろん、謝罪した人も、
- 同じことを繰り返さない、
- 結果を示す
といった行動が必要になりますがね。
謝罪したら一区切り、その後に反省をしていないようであれば、容赦しなくていいと思います。
謝罪をするというのは、自分の誤りを認めるといった、一つの変化だと思います。
謝れない人
謝れない人というのはどこにでもいます。
- 草津町長冤罪事件に加担していた某党の人たち
- 福島の食材に対してベクレてるといった教祖
など、相応の立場にいるくせに、謝罪の一つも出来ない人です。
このような人たちには容赦する必要はありません。
彼らは何も悪いと思っていないのですから。
- どれだけの被害が出ているのか、
- 被害者がどのような思いをしているのか
これらのことが全く分からず、ただお仲間のため、人気のために他者を乏しめているのです。
このような人たちを国、会社の重要な立場に立たせてはいけません。
何かあると他人に責任を転嫁するだけですから。
そもそも謝罪が出来ない=悪いことが分からない
といったことなのですから。
教養が足りていないのだと、言わざるを得ない人たちなのですから。
一言、
過去の自分の至らなさにより、不便を被った人たちに深く謝罪申し上げます
といったことを言えるだけで大分印象は違ってくるのに。
時間が経ってしまえば、どんな言葉を重ねても効果はありませんけどもね。
謝罪すべき案件での結果を出せば、変わってくるかもしれませんが。
終わりに

以上、人は変わるということについてでした。
なんだか伝えたい事がまとまらなかった・・・。
人は生きていくうえで考え方が変わることはあります。
それを責めて立ててはいけません。
過去の発言を引っ張ってきて、矛盾したことをしている
事を理由に責め立てる人はいますが、人は変わるものだしなぁとしか思わないようにしています。
ただし、迷惑を掛けて謝罪できていない場合は別です。
そのことについてはとことん、責め立てるのが良いでしょう。
昔は面白かったけど、今は面白いと感じないことは少なくありません。
しかし、その昔・・・当時の今を楽しんだということは忘れないようにしておきましょう。
考え方が変わると感性も変わります。
それを楽しむのもまた人生なのかなと思います。
この記事を書こうと思ったきっかけは、数年来にイジメ加害者がイジメ被害者に謝罪したいといったサムネイルを見かけたのがきっかけです。
コレを見ると、加害者の自己満足だけであり、被害者の傷が癒えることは無いかなぁと思ったからです。
謝るべき相手は、当時の被害者であり、今の被害者ではありません。
謝罪しても、相手の傷をぶり返してしまうだけの可能性もあります。
真の意味での謝罪であるならば、同じようなイジメ被害者を出さない活動をしていき、結果を出すことしか無いと思います。謝るべき相手がいないのですから。
加害者が謝罪したいってくらいには罪の意識があるのは変化ですが、被害者が許す許さないというのは別問題です。
文章も着地点もわけわからんので終わり!
以上、βуё (o’ω’o)ノシ βуё