一度の失敗でその後の機会を何度も失った、たたりんです。
一度小さな失敗してしまい、その後の挑戦を辞めてしまった、そんな経験がある人は少なくないでしょう。
大した失敗ではないのに、大失敗したと誤認してしまい、その後何もできなくなってしまう。
こうした行動をしている人は少なくないと思います。
こうして考え始めると、
失敗という言葉ももはや呪いの言葉では?
と思えてしまいます。
以前に才能と言う名の呪いというテーマでブログ記事を書きました。
今回はその亜種で、
失敗という名の呪い
について、私が考えていることについて紹介していきます。
失敗についての向き合い方の参考にでもなれば幸いです。
何かやってみたいことに挑戦すると、必ず失敗はついて回るものです。
その失敗と上手く向き合うことが、成長に必要なことだと信じています。
失敗することへの恐れ

失敗したくないという気持ちは、良く分かります。
私だって、本音を言えば一度も失敗せずに成功を収めたいです。
しかし現実問題、一度も失敗せずに成功を収めることなんて出来ないでしょう。
では、なぜ失敗を恐れるかと言う事を考えてみると、
他人の目・評価
というものがあるからでしょう。
失敗をすると、他人から
- バカにされる
- 見下される
- 無能と見られる
といった良くない印象を持たれてしまうでしょう。
それなりの付き合いのある人からは、失敗をからかわれても、じゃれ合いで済むこともありますが、
付き合いの無い人短い人(友人の友人、自分目線知らない人など)から、失敗をからかわれると、
ってなることがあります。
この距離感がおかしくなってるのが、現代のSNSだとも思えます。
失敗したという評価でからかわれたくないということが、失敗を恐れる要因かと思います。
あとは・・・そうですね・・・太古の昔から脳は進化していないという話もあるでしょうね。
この辺りは、書籍などに書かれていることなので、詳しく知りたい人は、関連する書籍を探してもらうこととして(私も紹介動画で聞いたくらいの記憶ですので)
現代では想像しにくいかもしれませんが、太古の昔では
一人の失敗で集落が滅んでしまう
なんてこともあったそうです。
そのため、能力のない人間を間引いてしまう。なんてこともあったそうです。
自分が間引かれないためにも、失敗を恐れるということが、太古の遺伝子から引き継がれているのかもしれません。
こうした背景もあり、本能的に失敗を恐れてしまうのかもしれません。
他人を見下すようになる

では、失敗を恐れるあまり挑戦しない人がどうなるかというと、
他人の失敗を見下し、笑いものにし、自分では何も挑戦しない人
になってしまいます。
こういった人は少なくないでしょう。
SNSなんかで、他人の失敗を笑いものにして、
- 視聴数
- いいね数
などを稼ごうとする行為ですね。
で、大勢でよってたかってネタにしていると、
というイジメ理論のもと攻撃を始めます。
有名人なんかの不祥事で攻撃するのも同類ですね。
で、なんで挑戦しなくなるかというと、
他人をバカにして、自分は優れているという幻想に浸かっていたい
からです。
他人を見下したところで、自分の能力が伸びる理由はないという事実から目を背け続けるのです。
本当は自分には能力があるけど、ソレを発揮すると今ソレで食べてる人が可愛そうだから
みたいな自惚を持っているのでしょう。
本当はただの無能である自分から目を背けるのに必死なのです。
実際に挑戦して失敗すると、しっぺ返しを食らうという幻想に捕らわれている可能性もあります。
自分が失敗したら、見下していた人以下であり、バカにされる
という思い込みから、挑戦を諦めてしまうのでしょう。
実際に挑戦を続けている人からすると、眼中に無いのにです。
だって、挑戦をしている人からすると、そんな有象無象のことを一々覚えておくのも記憶領域の無駄ですからね。
そして、バカにしていた人が成功すると
みたいなことを言い出すでしょう。
他人の失敗を笑っている人は、自分が笑われる側に立ちたくないから、何もできなくなってしまうのでしょう。
挑戦した人よりも優れているという、心地良いぬるま湯に一生浸かっていたいのでしょう。
本当は無能だという現実から目を背けつつ。
ちなみに、実績のある人は挑戦した人を笑うという行為には参加しないでしょう。
なぜなら、メリットよりもデメリットのほうが強いから。
致命傷になる失敗は避ける

失敗せずに挑戦したほうが良いと私は考えていますが、避けなければならない失敗というものもあります。それは、
致命傷となる失敗
は絶対に避けるべきだと、考えています。
取り返しのならない失敗というものは避けるべきです。
色々とあるでしょうが、個人的に一番避けるべきは、
消せない悪評が付いてしまう
というものです。
政治絡みの言動を見ていると色々と例となるものが浮かぶでしょう。
悪評が一度付いてしまうと、消すことは難しいです。
どれだけ正しいことを言ったとしても、悪評のせいで信用されないとなってしまうと、発言の価値が失われてしまいます。
過去は過去として、割り切るべきかもしれませんが、
暴言・失言に対する謝罪も出来ていない人を信用できるか?というものはあるでしょう。
謝罪するにしても、不適切な謝罪を行ってしまえば逆効果にしかなりません。
社会的な信用を落とす行為をされたのに、
みたいな謝罪や自分は騙されたから悪くないみたいなことを言う人を信用できるか?ということになります。
致命傷となる失敗は、取り返しのつかないこととなります。
その汚点一つのせいで、自分の進みたい道が閉ざされないように気を付けましょう。
私?汚点だらけですよww
終わりに

以上、失敗という名の呪いについてでした。
多少の失敗くらい、気にしなくても問題はないと思います。
しかし、中には失敗してはいけないこともあります。
失敗=悪
だという風潮が一歩を踏み出すための勇気をくじいてしまっている側面もあるでしょう。
失敗して他人の笑いものにされたくないという気持ちは分かります。
しかし、何もしていないと、後悔する人生になることに繋がりかねません
あと、失敗じゃないのに失敗だと思ってしまう思い込みに対して、
大ベテランと比較してしまっている
という可能性もあります。
始めたての人が大ベテランと同じレベルのことが出来るわけありません。
そもそも他人と比較しないようにしましょう。
失敗を恐れて何もしないよりは、致命傷となる失敗を避けつつ、自分のやってみたいことに挑戦するほうが日々が充実するでしょう。
以上、βуё (o’ω’o)ノシ βуё





