自分の正しさを盲信しないように気をつけたい、たたりんです。
先日の参議院選挙で、以前は支持していた人が、私が応援してる山田太郎氏のネガキャンをしまくっているのを見て、
人間性としてやっぱり問題があった
と感じました(日記にも書きましたが)
この記事内では、名前は伏せますが、分かる人にはわかると思います。
ですが、特級呪物と化したかの人物の名前は出さないで下さい。
リガハラ騒動や住民監査請求のときは、ちゃんと調査をした上で発信していたようですが、
そこで人気があるからと天狗になったのか、過激な発言が増えていた印象が残っています。
住民監査請求はまともだけど、それ以外が問題ありそうだと思ってフォローを外し、距離をおいていたのですが、色々と問題を起こして・・・いや、各方面に噛みついていたようです。
信者が誰も止めないし、肯定するような人物ばかりしか残っていないようですし。
自分に意見を言うような人をブロックしている節もあるし、ヨイショしてくれる人しか、残っていないんじゃないですかねぇ・・・。
都知事選にも出ていて、現職候補と互角だと思い込んでいた節もありましたからね。
ほんと、版権キャラに迷惑がかかるから、アイコンとハンドルネーム変えろって思いますね。
AIイラストにはクリエイターへの敬意が無いとか言ってる癖に、自分は版権キャラに敬意を持ってる気配がないからなぁ。
類似しすぎて、お前の発言が迷惑になってる可能性だってあるのに。
今や、タレコミを精査せずそのまま流しているようですし。
山田太郎氏の批判が的を得ているものであればいいのですが、自分の妄想がさも正しいというような発言ばかりで、
ほんと、陰謀論者になってしまったのだなぁと、久々に見かけて思いました。
で、山田太郎氏が当選確実となると、

とか言い出してますからね。
ホント、ダサいですよ。自分がネガキャンしてた候補が当選するとこういうことを言い出すのは。
ってか民主主義を理解できていないんじゃないんですかね。
支持母体があるんだったら、支持者があそこまで投票を呼びかけることも無かったですし、
あるんだったら、他の表現の自由のために行動してくれそうな議員に票を誘導していますよ。
自分が正しいと思っていることを盲信して陰謀論に落ちてしまった人の末路だと思います。
かの人物のやばいところは、赤木レイアさんが出している動画が参考になるでしょう。
(かの人物の名前を出さないためにリンクにしておきます)
まぁ、かの人物は、見方を変えると良い反面教師になるでしょう。
という、かの人物への愚痴を書いたところで、
今回は、
自分の正しさを盲信しない
ということについてです。
自分が正しいと思い込んでいる人は、
- 正義のため
という口実で暴走しやすいです。
問題を起こしている活動家はなんかは正にそれですね。
正しさは人それぞれ

まず大前提として、正しさとはなんですか?
私が思うに、正しさとは、
人それぞれ異なったもの
だと思っています。
とはいえ、個人が好き勝手に正しさを掲げていては、国家や会社として成り立たないので、
みんなで共通するルールとなるのが、法や社則だと考えています。
共通するルール以外については、人それぞれ異なった価値観で正しさを判断しているのでしょう。
言い争っている二人の言い分を聞いてみても、
- どちらも正しいが、どちらも間違っている
なんてことは少なくないでしょう。
見方を変えることで正しさも間違いになるし、逆もまた然りです。
明確な正解というものが無いのが正しさだと思います。
序文でかの人物が山田太郎氏のネガキャンをしていますが、
こども家庭庁の創設に関わったところも、理由にあるのでしょう。
こども家庭庁の創設に関わったから、公金の無駄遣いに加担していると思いこんでいる可能性はあります。
何処かのポストで、山田太郎氏は、こども家庭庁は自分の目指していた形と違うから是正していくと発信していたような記憶があります。
そうした声も耳に届いていないのでしょうけどもね
私個人としては、こども家庭庁なんてどうでもよく、表現の自由のために活動してくれればそれでいいと考えています。
こうした観点からも、正しさとは人それぞれだと考えられます。
陰謀論

自分が正しいと思っていることが、実は陰謀論だったなんてこともありえます。
陰謀論に染まってしまうと、自分が間違っていることに気がつけない
なんてことも少なくありません。
序文で、かの人物を批判して陰謀論者になってしまったと書いていますが、
実は、私が間違えている(陰謀論にハマっている)
なんて可能性だってあるのです。
陰謀論については、下記の本の考え方が参考になるかもしれません。
自由とは責任がともなう

自分が正しいと思い込んでいる人は、その正しさをSNSやyoutubeで発信しています。
日本は憲法で表現の自由が担保されています。
しかし、
自由には責任が伴います
不確かなことを、まるで真実かのように発信することのリスクですね。
それが真実ならば、何も問題は無いのですが、間違っていると人生を破綻させるリスクに繋がりかねません。
- 〇〇は殺されていて、入れ替わっている
なんてことを知名度がある人がいうと、影響は小さくないですからね。
(まぁ、マトモな人間ならこうした発言はしませんでしょうけども)
あとは、デマを真実っぽく発信したり、切り抜いて発信したりですね。
マスゴミがよく使う手法ですね。
自分が正しいと思い込んでいることを、不特定多数に発信するということは、
有識者から反撃される可能性だってあります。
他人を攻撃したら、本人とその関係者から袋叩きに合う可能性だってあります。
(なので、私は批難する人の名前は基本伏せます。見つかりにくくするために)
自由に発言が許される一方で、行き過ぎた発言は責任を取らされる事も忘れないようにしましょう。
終わりに

以上、正しさを盲信することについてでした。
自分が正しいと思っていることが、相手にとっても正しいとは限りません。
序文では、かの人物のやばいところとかを書いていましたが、
現実問題としては、辺野古基地反対派という活動家連中の方がやばいですね。
まぁ、彼らは彼らの正義から行動しているのかもしれませんが、活動家のせいで、警備員が一人無くなり、その責任を取るつもりがないというのは、
行き過ぎた正義であり、盲信する正義であり、陰謀論にハマっている人たちだということでしょう。
(無くなった責任を政府に押し付けようとしているし)
正しさというのは、人それぞれ価値が違います。
ギャーギャー騒ぐエセフェミも、自分たちは正しいという価値観で動いているでしょう。
しかし、大勢から間違っていると突きつけられても、お仲間がいるから、
- 自分たちは正しく、批難する人たちが間違っている
という幻想に浸かってしまっているのでしょう。
やりすぎた結果、企業等から相手にしないほうがいい相手と思われつつありますけどもね。
自分が正しいと思っていることが、世の中でも正しいとは限らないということは忘れないようにしましょう。
人それぞれの正しさがあるからこその線引があるのですから。
まぁ、この線引を超えてくるのが活動家やエセフェミの連中なんですけどね。
いい締めの言葉が思いつかないので終われ
以上、βуё (o’ω’o)ノシ βуё
PS.かの人物もツイフェミも同類なんだと終文を書いてて思いました