幸せな人生を送りたい、たたりんです。
最近読了した『うまくいく人が仕事以外でやっていること99』で気になったワードを見つけました。
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この本は、アテネを拠点に講演者として活躍しているステファノス・クセナキスの作家デビュー作です。
この本には、著者の経験したことから学んだ99のエピソードが紹介されています。
その中で、わたしが読了したときに、特に考えたいと思ったエピソード98の
正しくありたいか、幸せになりたいか
について、私なりの考えを紹介します。
この本には、参考になる考えが他にも紹介されていますので、
もし、「うまくいきたい」と考えているのでしたら、一読の価値はあります。
正しさと幸せとは
そもそも、『正しさ』と『幸せ』とは何なのでしょうか?
私の考えではどちらも、
個々人によって違うものであり、絶対がない
というものだと思っています。
- 自分にとっての正しさが、他者にとっては正しくない
- 自分にとっての幸せが、他者にとっては幸せではない
ということは、多々あったかと思います。
例えば、仕事をしている中で、
- 自分が得意な作業をしているときは、気楽にできるので幸せに感じるでしょう。
- 一方で、その作業が苦手な人にとっては、苦痛なので幸せは感じないでしょう。
- 残業してでも、仕事を終わらせるべきと考えている人にとっては、遅くまで仕事をしてでも終わらせる姿は正しいのでしょう。
- 一方で、定時以降に仕事をすることは正しくないと考えている人にとっては、残業が発生すること自体が正しくないのでしょう。
『正しさ』も『幸せ』も人によって異なります。
なので、
- コレが正しい
- コレが幸せ
というのは、あくまでも、自分の価値観でしかないのです。
強要してはいけない
『正しさ』も『幸せ』も人によって異なるものです。
だからこそ、自分の考える『正しさ』や『幸せ』を他人に強要してはいけません。
- ゲーム規制条例
- AV新法
などはまさにこの典型例だと思います。
提案者の考える『正しさ』『幸せ』を強要するのがまさにコレです。
ネット上で多くの否定的な意見が上がっているのも、価値感を押し付けてくることに対するう怒りだと言えるでしょう。
両立できるのか
『正しさ』と『幸せ』は両立できるのでしょうか?
私としては、
できることもあれば、できないこともある
と考えています。
そもそも、『正しさ』も『幸せ』も曖昧なものです。
- 今は正しくても、後で考え直してみると正しくない
- 今は幸せでも、後で考え直してみると幸せではない
といったことは、十分起こりえます。
将来に向けた勉强をしている中で、
- 未来に向けた備えをすることは正しい
- 一方で、趣味の時間を削ることは幸せではない
という考え方もできます。
要は考え方次第なところはあります。
もし、
自分は正しいと思いたい?それとも幸せになりたい?
と聞かれたら、あなたはどちらを取りますか?
どちらでも、お好きなほうを
終わりに
以上、『正しさ』と『幸せ』に関してのわたしの考えでした。
- 正しいことをすることが幸せになる
- 幸せになるには正しいことをする
といった関係性でないからこそ、人生は面白いのだと思います。
『正しさ』も『幸せ』も人の数だけ存在しています。
だからこそ、自分の考えを持つことが大切なのです。
そのためにも、色々な経験をすることが大事でしょう。
- 人類の歴史は間違いの歴史
ともいわれています。
例えば、かつての人類は、世界は平らだと考えていました。
でも、実際は平らではなく球体です。
そして、地球は動かないといわれていたのに、実際には動いている
現代ではこれらは、当たり前ですが、
昔は、こちらが当たり前なのでした。
このような例は、探せばいくつもあります。
そして、これらの間違いを正してきたのが、人類の歴史とも言えるでしょう。
- 常に正しくありたいと思っている人は、最初は良い気分でいられるが、そのうち法外な対価を払うはめになる
ツイフェミなんかはこの典型例だと言えるでしょう。
自分が正しいと思いこんでいることを正義だと思い込んでアレコレ炎上させた結果、
フェミニスト=ジェンダークレーマー
というフェミニスト思想の価値を乏しめたのですから。
前項の質問に私でしたら、
幸せになりたい
と回答するでしょう。
正しさを追い求めるあまりに、幸せになることを忘れないようにしましょう。
以上、βуё (o’ω’o)ノシ βуё