親ガチャという言葉について~何もしない人の言い訳~
他者に責任を押し付けている人にならないように気を付けていきたい、たたりんです。
先日、とある政治家が
親ガチャに左右されない社会
というポストをしているのを見かけました。
政治家としての方針を打ち出しているのでしょうが、
やはりこの政治家は改めて、支持できないと感じましたね。
正直、上記のポストを見た時は、
政治家が親ガチャなんて安易な言葉を使うんじゃねぇって思いもありましたね。
支持できない人のポストを拡散する気はないので、元ポストは乗せませんが、
社会主義や共産主義にしたい思惑でもあるんでしょうかとしか思えないポストでした。
ソレは置いといて、
今回は、
親ガチャという言葉について思っていること
について紹介します。
私はシンプルにこの言葉が嫌いですね。
たしかに、親に恵まれない子がいるという事実はあります。
しかし、この言葉が許されるのは、親の庇護下にいなきゃいけない未成年の間だけだと思っています。
でも、未成年であっても、公的機関を利用することで自身の環境を改善出来る可能性だってあります。
他責思考の言葉

この言葉が嫌いな理由はシンプルに
他責思考の言葉
だからになります。
ようは、
自分が上手く行ってないのは親のせい
っと、親に責任をなすりつけているだけの言葉となります。
現実問題として、毒親と呼ばれるような、ひどい親がいるという問題はあります。
それは、行政に何とかしてもらうしか無い問題だと思っています。
しかし、安易に親ガチャが~~みたいな言い訳をする人は、
実際には、恵まれているとは言えなくても、日本人として平均的な教育等を親から受けてきたのに、
親ガチャが外れたから、自分はうまく行っていない
っという言い訳をしているだけに他なりません。
自分が努力をしていないという点にスポットを当てていないのです。
現代では、ネットの発達によって、有料級の情報を無料で得るチャンスに溢れています。
そのチャンスを活かせていないのに、自分が取るべき責任を親のせいにして、現実逃避しているだけです。
また、前項でも少し書きましたが、親ガチャなんて言い訳が許されるのは、
親の庇護下にいる間だけだと考えています。
親の庇護下にいる間は色々と制限されていますが、ソコから外れたら後は自己責任となります。
それに、大人になってから勉強を続けてきたかどうかで大きな差が生まれるのは普通なことなのです。
そうした、自分が向き合わな変えれば行けない問題から逃げる言い訳として使われているのが、親ガチャという言葉だと、考えています。
何もしない言い訳

親ガチャという言葉は、
何もしない言い訳
として使っている人が少なからずいるという印象があります。
- 親の教育が悪かった→自分では何も出来ない
みたいな言い訳ですね。
親から受けたトラウマのせいで何も出来ないと、何もしていない自分への言い訳としても使っていそうですね。
トラウマについては、『嫌われる勇気』でも読んでおくとイメージが湧きやすいかもしれません。
何もしていない言い訳に親をつかい、自分を正当化している人に何かを成し遂げることは出来るでしょうか?
どれだけ支援されたとしても何も成し遂げないでしょう。
むしろ、自分は支援されて当然だという考えに染まり、何もしないまま時間だけが過ぎていくこととなるでしょう。
何もしない言い訳に使いやすいのが、誰かのせいにすることであり、
その言葉の一つが親ガチャだと考えています。
差があるのが普通

私は資本主義社会は差が生まれるのが普通だと考えています。
裕福な家庭ほど、上質な教育が行えるのも、豊富な資産があるからと言えるでしょう。
結果、教育格差が生まれてしまうというのは、普通なことです。
冒頭で書いた、親ガチャに左右されない社会というのは、この差を無くすという意気込みかもしれません。
しかし、
裕福な家庭を築くために培われた努力というものを無視して結果しか見ていない
と、捉える事もできてしまいます。
裕福な家庭を築くために、土日も勉強を続け、少しでも給料を高くするための努力をし続けて成し遂げている親もいることでしょう。
また、先祖代々受け継がれた資産を守るためにも、勉強を続けてきた家庭というのもあるでしょう。
結果として、裕福な家庭となっているが、その裏では並々ならぬ努力をしていることでしょう。
その努力を無視して、裕福な家庭から恵まれない家庭に資産を分けようというのは、いかがなものかと思います。
それに、裕福な家庭に生まれなくても・・・貧困から上り詰めた例というのはいくつか存在しています。
成功した実業家の中には、貧困家庭に生まれたが、並々ならぬ努力をして、富を築いたという人も少なからずいます。
そうした人たちがいる中で、行政が過度な介入をするのは、新しい可能性を生む事を潰してしまうことに繋がりかねません。
終わりに

親ガチャという言葉は、耳障りの良い言葉だと思います。
自分が上手く行ってないのは、親のせいだから自分は悪くないと言い訳している飽食ガキを支援する必要は無いと思っています。
大半の人はネットスラングのようなネタとして使っていると思っていますが、
中にはガチで言っている人もいるかと思います。
良い歳して親のせいにしている人は、支援したところで食いつぶして終わりです。
永遠に、口を開けて餌を待ち続けているだけですから。
そもそも、日本に生まれた時点で、かなり恵まれていると思います。
インフラや行政支援が充実していますから。
それに学校教育で最低限の教育は受ける義務もあります。
虐待や監禁するような毒親への対策や必要に応じた子どもの保護は必要となりますが、
これ以上の支援は必要なのでしょうか?
過度な支援は成長への足枷となってしまいます。
富裕層との教育格差を埋めるために、教育支援をする必要は個人的には無いと思っています。
先に書いた通り最低限の教育は行われていますから。
そもそも、興味のないことを勉強させようとしても、右から左に流れていってしまって終わりです。
何のために?という土台が出来ていない勉強は時間を無駄にしてしまいますから。
やりたいことがあり、ソレを叶えるために必要だと分かれば、自然と勉強するようになります。
それに、裕福になる=幸せ とは限りませんから。
親ガチャなんて言い訳はせずに、自分の挑戦したいことに挑戦していきましょう。
以上、βуё (o’ω’o)ノシ βуё
