世間の評価と自分の評価は別物として考えたい、たたりんです。
最近は誰でも気軽に発言できるからこそ、色んな作品の批評が飛び交っています。
だからこそ、
自分の価値観は正しいのか・・・?
と不安に感じることもあるでしょう。
人間という生物である以上、その感覚は正しいとも言えるでしょう。
集団に所属していて、その中で異端と認定されてしまうと、生きていけなくなる
という感覚が古代から続いている人間の脳の仕組みであります(聞きかじり程度の知識ですが)
ただ、現代では多様な価値観が自由に好き勝手に動いているものです。
ネットの普及の影響ですね。
直接関わったことがなくても、
という錯覚を生み出します。
X(旧ツイッター)での、オススメタブなんかはまさにそれですからね。
エセフェミとか〇〇信者とかが増えるのもこの影響でしょう。
(まぁ、その御蔭で拾えてる情報もありますが)
〇〇さんが言ってるから正しいだとか、世間の評判がXXだからXXなんだ
など、他人の作った批評に自分の価値観が流されていってしまっている人も少なくないでしょう。
自分が好きならそれでいい

どんな作品でも、
自分が好きならそれで良い
という考えが大事だと思います。
世間の評価うんぬんよりも、自分の好悪が大事です。
今の世の中は流れが早すぎると言っても過言ではありません。
ブームだったものが、翌週には去っているなんてことも、不思議ではありません。
だからこそ、
自分の価値観
が大事になってくるのです。
例えば、現在モンスターハンターワイルズは、アプデの失敗でSTEAMで圧倒的不評という評価となってしまいました。
コレが世間の評価だとしても、追加要素が来るたびに遊んでいる友人を見ると楽しそうに見えます。
コレが一つの世間の評価と自分の価値観との違いと言えるでしょう。
自分が楽しいと思うことは楽しい、世間の評価はソレはソレ。
と割り切っておくのが、自分が楽しいことを続けるポイントとなるでしょう。
好きなことを発信していれば、同じものが好きな人と交流を持てるチャンスは巡ってきますからね。
世間の評価は悪くとも、その作品が好きな人は必ずいますから。
良し悪しは分ける

1箇所でも悪いところがあると、その作品はつまらない
なんて評価をする人もいますが、
良いところと悪いところは分けるべき
だと私は考えます。
世の中に完璧な作品なんてものはありません。
もし、あるとするならば、自分で作るしか無いのです。
でも、大半の人は何かしらの言い訳をして行動することがなく、他人が作った作品を評価します。
- 面白かった部分は面白い、つまらないと感じる部分はつまらない
それでいいのです。
と思う部分はそれでいいのです。
それが個人の感想なのですから。
他人の感想に、
- 自分もそう思います!
というのも全然ありです。
あくまでも、自分で考え同意するということが前提にありますが。
100点か0点ではなく、
- ストーリーは無難
- 絵柄は好き
- 設定は微妙
- よって、〇〇点
みたいな評価が良いと思っています。
1つの評価だけで判断するのではなく、色んな要素を見るといいでしょう。
終わりに

なんか筆が乗らないからか変な内容になってる気がする。
今回何が言いたいかと言うと、
自分の価値観を大切に!
ということです。
他人の評価はあくまでも参考材料程度に。
人によって価値観は様々です。
自分が面白いと感じるのが、他人にはつまらなく感じる
その逆もまた然りです。
そして、それを理解できずにギャーギャー騒いでいるのがツイフェミと呼ばれるエセフェミの人たちです。
日本は自由がかなり担保されていますが、それに伴う責任も存在しています。
他人を叩くのであれば、袋叩きに合う覚悟が必要になるでしょう()
何も思いつかないので、終わり
以上、βуё (o’ω’o)ノシ βуё