創作活動を続けていると自己肯定感が高くなると思っている、たたりんです。
私は創作系の活動をやっていきたいと常々思っています。
若干趣味の領域であるので、評価についてはあまり気にしないようにしています。
一応今は、
- ブログ投稿
- 動画投稿
をやっていますが、
- 小説
- イラスト
っと、もっと広げていきたいなと考えています。
さて、創作活動をやりたいと思っても、その一歩を踏み出すのは大変です。
大半の人は、
何をやったらいいか分からない・・・
と悩んでいる内に、挑戦すること自体を諦めてしまいます。
コレは非常にもったいないことです。
自分の中にある表現したいことを、そのまま封印して忘却してしまうのですから。
なんでもいいから一歩を踏み出して下さい。
- ソフトをダウンロードする
- 1線、1文字打ち込んでみる
- 関連する書籍・動画の通りにやってみる
など、なんでもいいのです。
どうせ、最初は上手く行きませんから!
成功するイメージも大切ですが、そのイメージが高すぎると、足を止める原因にもなってしまいます。
なので、どうせ上手く行かないけど、作ったから投稿しよ!っていう精神は大切です。
上手く行かないと思っているから、上手く行かないッと思う人もいるかも知れませんが、
自分のやりたい表現の難しさを知れただけで、それは一つの成功なのです。
そこから、少しずつ出来ることを増やし、積み重ねていけば、その内自分の理想を叶えられます。
今の自分の出来ることと出来ないことを区別して、
出来ることを増やしていく・・・
つまりは、出来ないことを出来るようにするにはどうしたらいいか?
ということを考え、実践すると、自然と出来ることは増えていきます。
伝えたいことは若干逸れてしまいましたが、今回は、
私が創作活動を行う上で注意していること
を紹介します。
これは、足を止めている友人に、
才能という便利な言い訳を使うな!
ということを伝えたい部分もあります。
個人的に、才能なんてのは便利な言い訳に過ぎないと思っています。
才能がないから出来ないというのは、努力しない言い訳にはなりません。
何もせずに、結果を出せる自分への憧れだけです。
そして、憧れのとおりにならない自分に失望しているだけです。
そんなくだらないことを言ってる暇があったら、夢を叶えるための行動を一つでもしてみろ!
誰にも嫌われないは無理
創作活動をするにあたって、
誰にも嫌われないのは無理
ということは念頭においておいて下さい。
どれが誰の地雷になるかなんてのは誰にも分かりません。
世の中、何が人気が出るかわからないように、何が原因で嫌われるかも分かりません。
なので、誰にも嫌われないようにするっというのは、始めから無理なのです。
どれだけ気を使った表現をしていても、文句を言う人は必ず現れます。
そうした、極一部のクレーマーに気を使っていては、
自分の作品から、クレーマーに気を使った良くわからないもの
に変わってしまいます。
取り入れるべきだなっと思った意見は取り入れ、クレーマーっぽい人のコメントは無視しましょう。
嫌われたら仕方のないことっと割り切ってしまいましょう。
ただし、自分に問題があると思ったら素直に謝罪しましょう。
誰にも嫌われないということに越したことはありませんが、
現実問題それは不可能だと思っておきましょう。
最低限、自分が嫌いな表現をしないようにしましょう。
AIっぽいイラストについて
最近は、ちょっとAIっぽいイラストってだけで叩くお気持ち活動家がいます。
端的に言って、迷惑なクレーマーですね。
そうした人達相手には、通知を消して、無視でいいでしょう。
ただし、証拠は抑えておいて下さい。
いざという時は、威力業務妨害、誹謗中傷などで訴えることもありますから。
AIじゃなく手書きだッと言っても、
それは何の証明にもならん
といって、攻撃し続けてくるだけですが、一応は宣言はしておきましょう。
事実、大ベテランのイラストレーターに対しても、
AIっぽいってだけで叩いて、書いている肯定を紹介されて、
そっと、発言を消すという大人げない行動をしている人が多数いたそうですし。
(去年(2023)の夏コミだったかな)
はっきり言って、創作活動をする人の敵でしかありませんから。
イラストを守るという建前で他人を攻撃したいだけのクズは相手にするだけ時間と労力の無駄です。
AI無断学習=泥棒
だと思い込んでる性で視野狭窄の連中です。
- 創作活動をしたことがない
- 他人の真似をしたこと忘れている
のどちらかです。
第一、無断学習が禁止であるのならば、世にある多くの創作物は生まれてきていません。
多くの創作物は、先人の作品の何かしらを真似しています。
今まで自分が見てきた作品の良いところを
大量に混ぜ込むことで、実質的なオリジナルにしています。
AIだけ禁止にするというのはおかしな話だと私は思っています。
購入した人にしか見ることが出来ない作品など、制限がかかっているものを
データセットに混ぜ込まれている場合は駄目だと思いますが。
コレが分かりにくいからこその問題だとも思っています。
(そもそも明確な著作権法違反しているけど、権利者が黙認しているからセーフというものがネットには大量に転がっているんですけどね。それには全く文句を言わないどころか利用している時点で反AI活動家の言う事の正当性は・・・)
需要はわからない
創作活動を行う上で、
需要があるかということは分かりません。
端的に言ってしまえば、出してみないと分かりません。
自分としては、ある人にだけ伝わればいいや、と思っていても、
想定外に色んな人の助けになることもあります。
逆に、コレは絶対需要があるはず!と思っていても、誰にも刺さらない
なんてこともあります。
結果なんてものは誰にもわからないものなのです。
自分では大したこと無いと思っていても、会社では必要とされている
なんて経験をしたことがある人は少なくはないでしょう。
ぶっちゃけ、需要がなくても、作ったら世の中に出してみるのが良いです。
それで世の反応を見るというのは一つの手段です。
そして、一番駄目な思考が、
自分じゃなくてもいいじゃん
と思ってしまうことです。
ぶっちゃけ、娯楽が溢れている時代なので、自分で作る理由というのは薄れています。
- 自分より面白い作品はある
- 自分より上手い人の作品はある
こんなことは当たり前です。
自分が自分の時間を使ってまで作る理由なんてものは、自分の中にしかありません。
なんで作りたいのかという理由がなければ、数多の作品に埋もれて消えてしまうでしょう。
他人が何を求めているかは分かりません。
- 上達するの方法を探している
- エンターテイメントとして楽しめる作品を探している
といったように目的は人によってことなります。
もしかしたら、自分の作品が誰かがハマる作品になるかも知れません。
分からないものをいくら試行錯誤したところで無駄です。
需要は気にせず、自分の作りたいものを作っていきましょう。
完璧なものを求めない
創作活動を行う上で気をつけたいことが、
完璧なものを求めない
ということです。
創作活動に挑戦していて、完成しない人の中には
完璧なものが出来たら投稿する
といったことを考えている人がいます。
そもそも、完璧なものって何なんですか?
コレを定義せずに、完璧なものを求めている人は少なくありません。
何の本で読んだか忘れましたが、
完璧を求めて事業を失敗する例と世の中に出してみて反応を伺う例
を連想します。
どっちが成功したかというと、後者です。
完璧を求めるあまりにゴールポストを動かし続けて、
いつまでも完成しないよりは、一区切りをつけて出してみて、失敗したところを改修していくほうが良いということですね。
前項でも書きましたが、誰にも嫌われず需要がある、なんて作品は分かりません。
それに、自分では100点だと思っても、他人からは60点なんて作品は世の中に大量にあります。
逆に、自分では40点くらいに思っていても、他人からは80点と評価してもらえることもあります。
完璧という沼にハマらず、自分が完成だと思ったらそこで一区切りつけましょう。
完成させた時点で60点にはなります。
それを80点にすることはできても、100点にすることは難しいですし、大半の人は80点と100点の違いに気がつけません。
まずは終わらせる。コレを目標に作っていきましょう。
終わりに
以上、創作活動を行う上で注意していることでした。
まぁ、私一個人の意見でしかありませんけどね。
創作活動をして、投稿するしないは個人の自由です。
私は需要とか知ったこっちゃなく、自分が作りたいと思ったものを作って投稿する
っというのが基本スタンスです。
時間を無駄にしてきた人間としては、
- 興味を持ったらとりあえず始めてみる
- 初めは上手く行かないもの
と割り切っておくのが良いと思います。
やっていく内にいろんな気づきが得られるでしょう。
一番もったいないのは、
- 興味はあるけど時間がないからなぁ・・・
といって何もしないことです。
何もしなくても時間は過ぎていきます。
ちょっとずつでも経験値を貯めていく人と何もしなかった人では雲泥の差となってしまいます。
ソレに対して文句を言う人が大多数です。
何もせずに文句を言う大多数になるか、挑戦する少数になるかは自由です。
私は続けるだけの無才なので、これからも、好き勝手に挑戦しますですわ。
以上、βуё (o’ω’o)ノシ βуё