才能という言葉は1つの呪いなんじゃないかと思い始めた、たたりんです。
先日はよく使われる言い訳について記事を書いてみました。
この中で、才能という言葉を使っても書きましたが、
書いている内に、
才能って1つの呪い何じゃないか
と思うようになりました。
今回は
- 才能と言う言葉が1つの呪いだと思った理由
- その呪いに打ち勝つアイデア
について紹介します。
才能という言葉1つで片付けてしまう
何かあると、才能という言葉1つで片付けてしまうことは多くないでしょうか?
- 才能があるから上手くいく
- 才能がないから上手くいかない
- 才能があるから成功する
- 才能がないから成功しない
このように、成否に問わず『才能』という言葉で全てを片付けている人はいるでしょう。
少し前に、
努力なんて無駄。全部才能がないとダメなんだよ
みたいな絡まれ方をしたこともあります。
その分野で頂点に立つとかであれば、才能は必要かもしれません。
しかし、何でもかんでも才能の一言で片付けてしまうと、本当に才能が必要な地点まで到達する前に諦めてしまうことが多くなっていしまいます。
他の人がやっていることを真似してみて、上手くいかなかった時に
あの人は才能があるから上手いんだ
と思いたくなるときもあるでしょう。
しかし、毎日コツコツ積み重ねて努力してきたことを
才能
の一言で片付けられるのは言われた側にとってはイラァッ💢となることもあります。
何でもかんでも『才能』という言葉で片付けていくと、
次第に、『才能』という言葉で全てを解決する(言い訳する)呪いにかかってしまうでしょう。
可能性を潰す
才能という言葉で可能性を潰してしまった人もいるでしょう。
少し挑戦してみたけど、上手くいかず
自分には才能がないんだ
と思ってしまったことはないでしょうか?
(または他人に言われたことはないでしょうか)
このように才能を言い訳にして辞めてしまう人は少なくないと思っています。
同タイミングで同じことを始めた人と比べて劣っていると感じることがあるかもしれません。
しかし、それは才能の差ではなく、今までの経験の差であると私は思っています。
過ごしてきた時間は人によって異なります。
似た経験をしたことがあれば、それを応用することもできます。
逆に、全く経験のないことを始めると手探りになってしまいます。
経験を応用できる人と全くの手探りの人ではスタート地点が異なります。
それを才能の差と言ってしまうのは、もはや呪いにかかっているようなものです。
上手い人から見ると『どんぐりの背比べ』なんて事はザラにあります。
実体験として私の昔の知り合いにゲームをやっていて勝てないと、
自分には才能がないんだ
と言って、不貞腐れてしまう人がいました。
そのゲームは私が持っていたものなので(当時はオンライン環境とかないですし)、
単純にプレイ時間も違います。
始めたばかりはプレイ時間は単純に実力差に響いてきます。
その実力差を埋める行為を何もせずに、才能を言い訳にしては、上手くなれる訳はありません。
才能を言い訳にして何もしないせいで、上手くなる可能性を潰してしまいました。
努力・工夫に振り分ける
才能を呪いにしないアイデアとしては、
努力・工夫と才能を切り分ける
ということを考えてみると良いでしょう。
才能を持っているというと思っていることも、努力と工夫の組み合わせであることもあります。
長く続けているということで気がつけることもあるし、
道具を変えるだけでうまくいくようになることもあります。
気になったことを調べると、そこから新しい発見が出来たりもします。
本当に才能が必要な部分というのは、僅かです。
それ以外の部分は努力と工夫で何とかできることが多いです。
終わりに
以上、『才能という言葉が呪いになっているのでは』についてでした。
私は、才能はあれば良いものだと思っています。
しかし、必ず必要かといえばそうではないです。
個人的には、努力と工夫の方が大切だと思っています。
そして、自分ではどうしようもない部分は、
運の要素が大きいと思っています。
タイミングが良かったおかげで大ヒットしたものもあれば、
タイミングが悪かったせいで、知名度が上がらなかったものもあるでしょう。
才能は簡単に言い訳になってしまうので、個人的には余り使わないようにしていきたいです。
- 自分が出来ない理由を才能のせいにする
- 他人が上手くいった理由を才能にする
こうなってしまっては、もはや『才能という言葉に呪われている』という状態だと思います。
才能は天性のものでもあります。
私は無才ですので、努力と工夫でなんとかしていきたいです。
以上、βуё (o’ω’o)ノシ βуё