何をするにしても自分が楽しむことがいちばん大切だと思っている、たたりんです。
タイトルから、また似た話題を書いてるんじゃないか?と思う人が出てくるかもしれないと感じています。
とはいえ、この手の発言は適度に見かけるので書いていきます。
ゲームやアニメ、漫画などの娯楽は人の感性によって
- 面白い・つまらない
- 好き・嫌い
など大きく差が出てくるコンテンツだと思っています。
なのに、大勢の人と反対の意見を持っていると、
自分の感性っておかしいのかな
って不安に感じてしまう人も一定数います。
その気持ちは分からなくはないです。
しかし、大勢に合わせるようにしてしまうと、自分という個を失ってしまうことになります。
今は多様性の時代です。
他人の意見ではなく、自分自身から発生られる感性の方が大切です。
そこで今回は『優先すべきは自分が楽しいという気持ち』という考えについて紹介します。
こういう考え方もあるんだなと思ってくれれば幸いです。
他人の評価はどうでもいい
今はレビューなどを簡単に投稿できるため、他人の評価が簡単に見れる状態にあります。
そんな時に注意しているのは、
他人の評価はどうでもいい
ということです。
例えば、好きなアニメ作品を見終わった後に心地良い感覚に浸かっていたとします。
その後にレビューを見ると、どうしても否定的な意見も目にするようになります。
否定的な意見を目にすると、心地良い感覚に水を差された気分になってしまいます。
好意的に見ている人の、微妙だと思った部分を書いているレビューを見ただけでも
水を差された気分になってしまうこともあります。
そんなときは、自分と他人の線引をしっかりとしておいたほうがいいです。
その線引をするために、
他人の評価なんてどうでもいいもの
と思っておくほうが、自分の精神安定にとってよいです。
ただし、これはあくまでも利用する側の考え方です。
提供する側は別の視点も必要になってくるので気をつけましょう。
感性は人によって違う
当たり前ですが、
人によって感性は異なります。
同じ作品を見ても、
- 面白かった
という人もいれば、
- つまらなかった
と感じる人もいます。
コレは当たり前のことです。
しかし、中には、
自分の感性=大勢の感性
と勘違いして、
お前の感性おかしいよ
と馬鹿にしてくる人もいます。
そのような相手とは、とっとと疎遠になった方がいいです。
小さなコミュニティでは、それが正しいように思えても、
世間一般では、評価が真逆なんてこともよくあります。
そもそも感性で判断することには正解はありません。
今の世の中は正解を簡単に求めることができる時代です。
だからこそ、何かしらの正解がないと不安に感じてしまうのかもしれません。
自分が楽しいと思えたら、それでいいのです。
世の中には、クソゲーオブザイヤーに受賞したゲームを楽しむ人もいるのですから。
終わりに
以上、『優先すべきは自分が楽しいという気持ち』についての考えでした。
結論は、
自分は自分、他人は他人
ということです。
他人の評価なんて気にせず、自分が楽しいことを続けていればいいのです。
そして、やってはいけないことは、
自分が嫌い。だから公序良俗に反する
という考え方です。
自分が嫌いでも、ソレが好きな人もいると広い視野で物事は見るべきです。
ソレができない人は簡単に炎上発言してしまいます。
多様性を受け入れるということは、自分の嫌いな表現を目にする可能性もある
ということでもあると考えています。
それを理解せずに、多様性だという人は似非だと思ってみておいたほうがいいです。
例えば、私はアニメ、ゲーム漫画などは好きですが、ドラマは嫌いです。
特に◯流ドラマなんて、ヘドが出るほど嫌いです。
こんなもん輸入してテレビで流すなよっと内心では思っています。
しかし、これが好きな人もいるというのは分かっていますので、
見ている人に対して、わざわざ
こんなつまらないものを見て、何が楽しいんだか
といったことを言ったりはしません。
楽しみたい人は楽しんでくれ、程度にしか思いません。
しかし、強要されそうになったら、徹底的に抗います。
楽しいことは人それぞれ違います。
法律に違反しない限り、それを咎めることはできません。
(悪法なら徹底して抗う活動が必要になりますが)
自分が楽しいと思えることをし続けることが人生を楽しむコツかもしれません。
以上、βуё (o’ω’o)ノシ βуё