普通という言葉に懐疑的な、たたりんです。
色々な場面で
普通なら〇〇だよね
みたいな発言を耳にしたことがある人は多いでしょう。
しかし、この『普通』とは一体何のでしょう?
辞書的な意味では、
普通とは広く適用する状態のこと
であります。
上記のような場面で使われた『普通』は違った意味を持っているように思っています。
今回はそんな普通について、思っていることを紹介します。
「普通は~」といったことに疑義が生じている人の参考になれば幸いです。
他人との比較から生まれる
普通という感覚は他人との比較をすることによって生まれます。
「普通なら~」というのは、大勢がやっていることをやっていないことを指していることが多いです。
例えば、私くらいの年齢ですと、学生時代に
普通なら、流行りのドラマくらい見るでしょ
みたいな会話をしたことがあるかと思います。
これは、
みんなが見ているものだから、見るのが普通
といった感覚なのでしょう。
これは、大勢がやっていることをやっていない人がいた場合に、
大勢と比較・・・つまりは、他人と比較してやっていない人を卑下する行為
と言えるでしょう。
他にも
- 普通なら結婚している年齢
- 普通ならマイホームを持っている年齢
というのも、他人との比較ということでしかないのです。
普通とは個性を無くすこと
普通になるということは個性を無くすことと類似だと思っています。
人間は一人一人違った個性を持っています。
誰しも得意なこともあれば、苦手なこともあります。
普通を目指すとなると、それは個性を無くすとも取れます。
普通というのは、『みんなと同じになる』と同義と考えています。
『みんながやっているから、自分もやる』っとなってしまえば、
自分の個性は何なのか?
となってしまうでしょう。
例えば、以前駅のホームで就活生らしき集団を見かけたのですが、
全員が
- 同じ髪型
- 同じ服装
をしていました。
スーツで就活に望むのは、まだしも、
全員が同じ髪型をしていたのには、すごい違和感がありました。
集団の中で同じ格好をしているのは、浮くことはないですが、
見方を変えると、
個性がない
とも見れます。
人生は自分だけのものです。
得意なことに特化するのもいいですし、
苦手なことを克服するのも自由です。
好きなことをやり続けるのもありです。
大多数から外れたくないから、普通になるというのでもいいでしょう。
普通とは大多数のこと
私は、『普通であること』とは『大多数と同じであること』と結論しています。
(大多数というよりも周囲と捉えたほうがいいのかもしれませんが)
大多数と同じことをしていると、
みんなが同じことをしているから、自分は間違ってはいない
という集団心理が働いて安心できるのでしょう。
しかし、本当に自分がやりたいことができなくなるという危険性があります。
- 飲み会に参加したくないけど、みんなが参加しているから参加する
- 周囲が残業しているから、したくないけど残業する
といった経験をしたことがある人は多いかと思います。
これが普通なんだ
とやりたくないことを続けていると晩年には後悔する可能性はあります。
- 孤立したくないから周囲に合わせる
- 孤立してでも自分のやりたい事をやる
どちらもリスクのある行為ですが、どちらかを選ばなくてはなりません。
正解がない以上、自分の信じた道を進むしかないです。
(孤立せず自分のやりたいことができる環境を作るのが理想的ですけどね)
終わりに
以上、普通について思っていることでした。
普通というのは、
- 時代
- 環境
によって変わるものです。
だから明確な答えがなく、人によって変わるものなのです。
普通になるための無難方法は、大多数と合わせることです。
大多数と同じことをしていれば浮くことはありません。
しかし、大きな成功をすることはないでしょう。
大多数と合わせるということは、平均の枠に収まるということでもあります。
平均の枠に収まっていれば、平均の結果にしかなりません。
成功している人の多くは、その平均の枠を飛び出す様な何かをしています。
見方を変えるとそれは、普通では考えられないようなことをしているとも取れます。
成功するまでは、世間や周囲から異端な扱いをされていたかもしれません。
普通という考えから抜け出したいのであれば、下記本が参考になるかもしれません。
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普通であることに正解はないので、
- 私にとっての普通は、私の普通
- 他人の普通は、その人にとっての普通
と考えるのがいいでしょう。
間違っても、自分の普通を他人に押し付けてはいけません。
全員が受け入れられる普通なことなんてものは存在しないと、考えるのがいいのかもしれません。
以上、βуё (o’ω’o)ノシ βуё